「夢を見ながら走り込め」〜『ラジオの仏 〜山本の夢辞書 1975-2003〜』刊行記念インタビュー(2003年)

当サイト(旧サイト時)に、管理人たちが山本直樹先生へ初インタビューを試みたものを再掲載いたします。山本先生にとって、2冊目の漫画ではない作品『ラジオの仏〜山本の夢辞書 1975-2003〜』刊行時に行われたもので、2003年10月27日に、東京都三鷹にて採録しました。

『ラジオの仏』刊行に至るあらまし

――『ラジオの仏』がとうとう発売されますが、最初どんな感じで話があったんですか。

『ラジオの仏』を出すに至るきっかけは、2000年に早稲田大学のイベント(*1)で プリントアウトした夢日記をテーブルに貼り付けて展示したのがはじめかな。

――出版しようって話になるまでどういった経緯があったんですか。

まず吉田くん(*2)が作った『Choice&Place』っていう雑誌の第2号に一部載ったんだよね。 そのあともいろいろ話があったんだけど、結局細谷くん(*3)と「作りましょう」って話になって。

――当初は自費出版の予定だったんですよね。

そう、なんとか出したいね、っていう話だった。今回、こうやって平凡社から出ることになったけど。

――日記はどのくらい継続してつけられてるんですか。

ふつうの日記はこの8年くらい書いてる。夢日記に関しては飛び飛びで、いちばん古いのは’75年だから・・・。 高校生のときだね。高1かな。

――夢日記の原稿を拝見していて思ったんですけど、記述が非常に細かいですね。

それはコンスタントにつけてると、夢の内容をだんだん覚えられるようになって 最終的には夢の中で日記をつけてたりする。そんなことしても無駄なんだけど(笑)

――起きたらすぐメモできるように、枕元にノートがあったりするんですか。

いまは、仕事部屋に行ってPCで書いちゃうね。大学生のときは大学ノートに書いてたよ。 ’88年ごろ初めてワープロ買って、自分の書いた夢日記が活字になって出てくるのがとても楽しかった。 そのころのものは紙で残ってたから、スキャンして『ラジオの仏』にも入ってます。

――PCということばでちょっと思い出したんですけど、 マンガを書かれていて、手書きからPCで書くことへの変化で何か快感があったりしましたか。

そうだなあ。同じ背景を書かなくてよくなった、ってことだね。 それはひとりですべて書きたくなった、っていうのと同時期なんだけどね。 ちょうど『ありがとう』を描いてる終わりの頃で。

――それは自分で作品全体をコントロールしたい、っていう欲望なんでしょうか。

マンガ家は誰しもそういうのありますからね。 アシスタントが書いた建物をあと右に5ミリ動かしたいとか(笑)。 そういうのが積もり積もってね、最大のアシスタントをマックにしたの。

――ご自分の夢日記を出版されるってことになってどう思われましたか?

お金の匂いのしないものを出していいのかな、ってちょっと思った。 夢は共有する前提をつくるのが難しいと思うからね。つまり、どのくらい売れるのか?と(笑)

――マンガであれば、エッチな感じとか、ある程度はっきりした読者の欲望があるってことですか?

自分の「描きたい」っていう気持ちと、求められるものがある程度重なり合うからね。 もちろん、それだけじゃないんだけど。

――そう考えると、今回の『ラジオの仏』は、非常に趣味的な側面が強い作品とも言えますか。

うん、いままででいちばん発売が待ち遠しい本だからね(笑)。 自分の作品が出るのが待ち遠しい、っていうのはいい感じだね。

――それでも、やはり商品として提示されるわけですから、苦労される部分もあると思います。

字の本ってことでは『テレビを消しなさい』があるけれど、あれはコンセプチュアルなものではない。 ただ、今回は「夢」っていうコンセプトがあって、夢日記のなかからおもしろいと思うものを選り抜いているし。 久々に、手描きで挿絵を描いているしね。そういった面では、考えてる部分もあるね。

――夢日記って、ぼくも以前書いていたことがあるんですけど、自然と加工されてしまうものですね。

実際、かなり加工はしてると思う。ことばでない感覚をことばにしてるんだから、 目を覚まして日記を書き始めてる時点からかなり加工はしているわけ。 それを人に読んでもらうってことでね、さらに加工してますよ。

――夢の中で感じた、ことばにならない感覚はどうしても抜け落ちちゃいますしね。

それもあるし、夢の中だと、時間の感覚がないからね、結局、時系列も整理してしまう。 マンガのストーリーをつくるのといっしょだね。バラバラになっているピースを必要な部分にはめこんでいく。 夢日記を書いていると、そういった作業がいつも自然にあるね。

好きな日記作品

――日本では、日記文学、私小説といった表現の流れがありますけど、お好きな日記作品って何かありますか?

永井荷風の『断腸亭日乗』を読んで、 日記書こうって思ったのがさっき言った8年前。 ’95年くらいだね。これはゼッタイ、誰にも見せないけどね。

――実際に読んで「日記っておもしろいもんだな、じゃあ書いてみようか」って感じですか。

そうだね。そう思って書き始めた。『断腸亭日乗』、これはいいですよ。 終わりのほうは、荷風の体調がだんだん悪くなってきて、日付や、天気だけになっちゃう。

――書けなくなっちゃうんですね。

うん。人間ってだんだんフェイドアウトしていくもんなんだ、みたいな気持ちになったな。 あとは漱石の『夢十夜』とか、内田百閒も影響あるかな。

*1 早稲田のイベント
2000年7月、吉田大助氏主催により早稲田大学で行われた写真展「選ぶと並べる」のこと
*2 吉田くん
吉田大助。ライターとして『Quick Japan』等で活躍中。ミニコミ誌『Choice&Place』(1号、2号)を発行した。
*3 細谷くん
細谷滝音(ほそやたきお)。『ラジオの仏』編集担当。『ラジオの仏』発行を企画した団体「島医者」(命名は山本直樹先生)代表。

夢の中に頻出する人・物・場所

――夢日記を拝読していて、頻出する特定の固有名詞がありますね。七飯(ななえ)とか。

夢の中に出てくる七飯(*4)の家は、おじいちゃんやおばあちゃんがいる。 子供の頃、たまの日曜日に遊びに行くんだけど、自宅から30キロくらい離れていてね、 それは大イベントだったなあ。

――先生のおじいさまは、何をされてたんですか。

もともとは学校の校長先生やってて、それでもう引退してたんだけどね。 果樹園を経営していて、りんごやなし、プラムなんかは食べ放題だった。 にわとりなんかもいたね。かなり昔は羊なんかもいたらしいけど。

――夢の中にタモリがよく出て来ますね。

うん。タモリは、’77年ころデビューしたんだけど、あの頃タモリはサブカルヒーローだった。 タモリにあこがれて早稲田のモダンジャズ研究会に入ったくらいだもんね(笑)。 今だと、あの当時のアンダーグランドカルチャーっぽい感じは『タモリ倶楽部』とかに ちょっと残ってるかな。

――そうですね。全冷中(*5)の時代の空気ですか?

筒井康隆、山下洋輔、坂田明とか、あのへんの人脈的流れがとてもおもしろかったんだよね。

――タモリ以外には何かよく登場してきた人物って記憶にありますか?

そういや、山城新伍とか出てきたね。別に、ファンだとか、そういうわけじゃないんだけど。

――夢って、ふだんあまり気にしていない人が出てきたりしますよね。

そうそう。実はぼくの超自我が、山城新伍なのかも(笑)

見た夢がマンガのアイデアになることもある

――そういえば、『鶏男』(*6)は、夢日記を漫画化したものだってことが今回の原稿を拝読していて分かったんですけど、そうやって夢からマンガのアイデアを着想することはよくあるんですか?

ちょこちょこあるね。『×つのき駅』とか、『のんきな姉さん』もそうかな。 『のんきな姉さん』は、元になる夢を見てから、マンガにするまで5、6年熟成期間があったけど。

――森山塔のペンネームでお書きになっていた作品にも、夢ネタってけっこうあるんですか?

あんまりないね。

――やはり、90年代からですか?山本先生のマンガは性描写がとっても際どいのに、すごく オフビートな感じが夢っぽいなと思ってたんですけど。

そうだね、90年代からかな。フラグメンツの第1回もそうだね。あれも、もとは、夢だね。

――いちばん最近出版された作品『堀田』(*7)は、極めてシュールな感じの作品ですけど、 『堀田』にかんしては、「夢」を描こうって意識されたりしたんですか?

あれは、夢ってより、デタラメになる直前の、ギリギリな感じを描きたかったんだよね。

――なぜ『堀田』なんですか?ふしぎなタイトルです。

それはね、ハリー・ポッターを見ないで、ハリー・ポッターのパロディを描こうと思ったから。

――えっ!『堀田』ってのは、ハリー・ポッターのポッターをもじったんですか?

そう(笑)。堀田は名前、春男っていうんだもん。春男は、ハリーね(笑)。

長篇大河ドラマみたいな夢

――連載の間隔、たとえば、雑誌には週間、月刊、隔月、季刊、年刊といった感じで 連載のパターンがありますけど、作品を描かれるサイクルによって仕事をされるペースも変わりますよね。 生活パターンがかわると夢を見たり見ないとか、そういったことはありますか?

あんまり忙しくなると、夢を見ないとか、そういったことはないね。

――夢の中で、好きなシチュエーションってありますか。

寝る前にコーヒーをがぶがぶ飲んで、身体は眠りたいのに、眠れないときは、キチガイみたいなとんでもない夢を見るよ。長篇大河ドラマみたいな夢を見て、 それはシリーズになってるんだけど。

――シリーズ! 続編があるんですか?

そう。「これは、あれの2だ!」とかね。夢の中で分かって、喜んでいる感じがある。 ランボー2だ、エイリアン2だ、そんな感じで続き物があって、それは自分にとっては 最高におもしろいんだけど、ひとに伝えるのは難しいね。

――見た夢の内容を客観的に、しかもおもしろく伝えるのは難しいですよね。

うん。「おもしろい」っていう気持ちは強く残っている。 見た、ってことだけは残っているんだけど。でも、内容は覚えていないんだよね。 2、3っていうだけじゃなくて長篇シリーズ化している夢もあるけど、それは 自分にとっていちばんおもしろい夢だね。

――でも『ラジオの仏』の中には、すごく長い夢もありますね。

たまたま覚えてたんだと思う。

――お芝居の夢もありますが、やはり、演劇がお好きだからですか?

うん。まあ、夢の中で芝居を見てたり、役者の中に入って演じてたり。楽しいのがいいよね。

――ご覧になる夢の内容は、昔のことが多いですか?

最近のことも昔のこともあるけど、大学生、高校生のときの夢をよく見るね。 大人になっていて、大学に入りなおして、大学に入るのは2回目だから、 こんどこそ、4年で卒業できるとか(笑)。

――最近見られた夢で印象的なものはありますか?

さっき見ていた夢は、死んだ子供が水の中に浮いてて、一生懸命人工呼吸して生き返らせようとする夢。

――どれくらい前に見たんですか?

2時間くらい前。自宅のソファで寝てたの。だから、これがいちばんホットな夢日記だね。

――SFっぽい夢もけっこうありますね

うんB級SFっぽいのも、多いね。

――夢の中で、アナウンスがありますよね。あれは不思議な感じがしませんか?

アナウンスも多いね。解説や、ナレーションみたいな感じで、声があるんだけど、テレビを見ている感覚。 夢の中で、見ているものについて考えちゃう。それがナレーションになっているんじゃないかな。

――夢分析はされますか?

しないね。あまり詮索したくない。悪いことが出てきたりしそうだから。

――夢の中って解放されてますよね

夢のなかでは、ためらいがない。殴りたいと思ったら殴っちゃうからね。

――それが、夢のよさですよね。

そう。ただ、現実を考えると、たとえば人を殺したいと思うのと、実際に人を殺すまでに 本来は差があるんだけど、殺してしまう人間もいるんだよね。それは大変なこと。

*4 七飯(ななえ)
北海道亀田郡七飯町。http://www.town.nanae.hokkaido.jp/
*5 全冷中(ぜんれいちゅう)
全日本冷し中華愛好会の略称。1975~1979年。初代会長、山下洋輔。二代目会長、筒井康隆。http://www.higeta.co.jp/topics/0202reicyu.html
*6 鶏男
塔山森名義で『COMICパピポ』に発表、コミック文庫『誘ってあげる』収録(1998年・フランス書院)。 現在は『学校』(文藝春秋)に収録。『ありがとう』制作後期から使用開始されたコンピュータで、全篇描かれた初の作品。
*7 堀田
『MANGA EROTICS F』(太田出版)にて2002年より連載中。第1巻として、『堀田』が2003年10月に発行された。

下北沢が遊び場だった

――夢日記そのものからは少し離れてしまうんですが、先生の描かれるマンガの舞台は 郊外が多いですね。なぜでしょうか。

それは田舎にすんでたから。田舎しか描けないんだよ。都会は描けない(笑)。 ずっと北海道に住んでいて、上京してもしばらく福生で暮らしてたし。岡崎京子のようにはいかないね。 ああいう都会のアンニュイみたいのはかけない。なにしろ彼女は下北沢で育ってるから(笑)。

――そういえば、先生は下北沢お好きですよね

18、9から、下北で遊んでるからね。上京してからよく飲んでたバーが、実は岡崎京子の実家の真向かいにあってね。 今は移転しちゃったんだけど。そこで大騒ぎして、物まねみたいな素人芸をするのが生きがいだった時期があって。

――ほんとですか?

うん。あとで岡崎京子に会って、「うるさかった?」って訊いてみたら苦笑いしてたな。 うるさかったんだろうね、ほんとに。

――なぜ下北沢だったんですか。先生は早稲田に通われていたから、新宿や(高田)馬場なんかで 飲んだりはされなかったんですか?

あの当時、知り合いがみんな初台に住んでたんだよ。内田春菊、吉田戦車、朝倉世界一、原律子、まついなつき。 下北で遊ぶ理由は、初台から近くて集まりやすかったってことだよね。

――初台は漫画家人口率が高かったんですね。

そういう時期があったんだね。

――そういえば「うるさい」ということばで思い出したんですけど、2ちゃんねるの山本直樹スレッドが けっこう鋭くて、山本マンガから「音が無い感じ」、静謐さを感じるという意見があったんですけど、 作品を描かれていて音に関しては意識されてますか?

うーん。音を表現するのは凄く難しいと思う。マンガには擬音っていう表現があるけど、難しいね。 音に関して意識することは、あんまりない。ただ、意識しなくてもそういう感じが 出てしまうのかもしれない。

――下北沢では近年散発的にバンドでライブもされてますけど、スロラナのメンバーの方とは、 どういった感じで知り合われたんですか?

ベースとドラムは、函館の高校時代からの同級生。福生に住んでた頃、「直樹、マンガ描いてみれば」 って言ったのが、あのふたり。ギターは下北沢での飲み友達ですね。

――福生ではどんな場所に住んでたんですか

米軍ハウスの払い下げを借りていてね。男3人で住んでた。凄く広かったから、 仲間内の集会所みたいになっててね。福生には3年くらい住んでいて、そのあと引っ越しました。

ジャズ研のおもいで

――大学生活はいかがでした?

1年の頃は西武新宿線の新井薬師(前)に住んでたから、わりと学校行ってたんだけど、福生へ引っ越したら とても通えない。松山っていうバス停から福生まで行って、福生から拝島まで行って、拝島から高田馬場まで行って。

――ええ。

朝だと8時20分から授業があるんだよ。バスは始発に乗らなければ間に合わない。始発のバスは6時半に来る。 冬なんか、まだ6時半というと、夜みたいなものだよ。 福生では完全に昼夜逆転生活になってたから、「このまま起きて学校行こう」なんて思うんだけど、 結局明け方寝てしまうんだよね。

――目が覚めると11時とか、午後1時とか。

「いちおう学校行こう」ってことで家を出るんだけど、国分寺で途中下車して、本屋入って、そのまま喫茶店入って、 一日が終わっていく、みたいなことが多かったね。

――サークル活動はどうでした?

ぼくが入ったモダンジャズ研究会は当時部員が沢山いて、週に1回しか練習できなった。 でも、地味で楽しかったですよ。

――80年代にモダンジャズですもんね。まさに不遇の時代。だって、街ではフュージョン流れてるでしょう。

フュージョンやっているやつの中に、おもしろいギターもいたんだよ。やたらチョーキングするやつとか。 ジャズは、チョーキングしちゃいけないの(笑)。楽しちゃいけない。

――楽器はギターを弾かれてたんですか。

サンバーストのセミアコを買ってね。すごくうまい先輩がいて、自発的に彼の真似をしてた。

――ジャズギターお好きになりました?

ジャズが好きで、ギターが好きで、ジャズバンドでのギター担当になったってだけでね、 ジャズギターの何かを知ってたわけじゃない。ドルフィーとか、チャールズ・ミンガスとか、 そういったものが好きだったからね。

――他大学との交流はあったんですか?

女の子は、日本女子大からボーカルとか、ピアノとか来てたね。そういう人の流れがあった。 他にも、千葉大から通ってきてるやつとか、ひとり学生ではないテナー吹きがいて、 彼はまるでチャーリー・パーカーみたいだったよ。

――先生のお知り合いで、プロになった方はいらっしゃるんですか。

すごくうまいサックスがいて、でも商社員になってて、この間メールで 「カタールのジャズクラブで吹いてきた」って言ってた(笑)。どんな演奏をしたんだろうね。 楽器はうまくてもコンピュータのプログラマーや、FM局の社員とか、まともな職業についた人が 多いかな。’70年ごろの部員からはプロになった人が多いみたいだね。それこそタモリが トランペット吹いてたりしたわけだけど。

読者からのご質問&ご要望コーナー

――今回、せっかくのインタビューということで、サイトの掲示板で、質問を募集したんですが、 読者の方から、メールを頂きまして。東京都にお住まいの、Mさん、男性の方からです。

ラジオ番組みたいだね(笑)。答えますよ。

――質問1. すぐに眠りに付くタイプですか? なかなか眠れないタイプですか?

眠れるまで起きてるタイプです。

――質問2. 眠れない場合はどうしますか?(寝ない、本を読む、考え事をするetc.)

起きてますね。仕事するふりして、テレビ見たりしてます。

――質問3. 先生にとって心地よい睡眠を得るための最善の方法はなんですか?

眠れるまで起きてるね。それがベストな方法。

――質問4. 今まで見た夢で一番の悪夢を教えてください

子供の頃見た夢が凄く怖かった。お化けに追いかけられたり、怪獣に追いかけられたりね 大人になると、心底怖い夢ってみないね。理性を保たなきゃって、防衛機能がはたらくのかもしれない。

――質問5. 今まで見た夢で一番幸せだった夢を教えてください

幸せなセックスをしていた夢。誰としていたかは、言えません。

――質問6. 夢精したことはありますか?(失礼な質問ですみません)

小6のとき、したようなしなかったようなことがあったね。 エッチな夢を見ていたのは覚えてるけど、まだ出るものが出ない感じでした。

――質問7. 夢からマンガのアイデアを得たことはありますか?(あるとしたら具体的な作品名を 知りたいです)

『のんきな姉さん』『夕方のおともだち』『ビリーバーズ』『フラグメンツ』の第1回。 そんなとこですね。

――質問8. 寝起きはいい方ですか?

途中で起こされなければ寝起きはいいけど、寝ている途中で起こされると凄く機嫌が悪くなります。

――質問9. 起きた後はまず何をしますか?(煙草を吸う、音楽をかける、顔を洗うetc)

用を足しに行きます。トイレに行きたくて目が覚めることが多いから。

――質問10. 先生にとってSEXとはなんですか?

楽しいものですね。楽しく、気持ちのよいもの。

――ただ、山本先生はマンガで、楽しく気持ちのいい全肯定なセックスは描かれませんね。

個人的な嗜好が、マンガに直接反映されるかどうかってのは、また別の話になっちゃうよね。 どうしても、作品っていうことで描くからね。

――質問11. 山本直樹名義と森山塔名義での使い分けを教えてください

以前、官能誌は森山塔、青年誌は山本直樹っていうふうに使い分けてたけど、 現在は、とくに使い分けてません。

――質問12. 先生の敬愛するマンガ家(もしくは作家・アーティスト)はいますか?

萩尾望都、大島弓子、竹宮恵子、大友克洋、吾妻ひでお。 マンガ家以外だと、宮崎駿、唐十郎、大江健三郎、カート・ヴォネガット(Jr.)、 フランクザッパ、内田百閒、安部公房、筒井康隆、赤瀬川原平、そんなとこかな。 あと、最近だと松尾スズキ。

――質問13. 現在最も注目しているマンガ家(もしくは作家・アーティスト)はいますか?

小田扉はいいですね。とてもおもしろい。

――黒田硫黄なんかどうですか?

彼の『大日本天狗党絵巻』は、’90年代でいちばんおもしろかったマンガじゃないかな。 コマ割りとか、ずいぶん新鮮で、よかったです。

――質問14. 先生の好きな体位はなんですか?

それはひみつ!

――ありがとうございました。もうひとつ、掲示板に質問というか、要望が来ていて。 里香さんという方から、「山本先生が描かれる処女が恥らうマンガを読んでみたい」ということなんですが。

これだけ、あられもないセックスを描いてきて、処女が恥らうマンガってのは無理があるけど、 でもぼくは天邪鬼みたいなところがあるから、ひょっとしたら描くかもしれません。

論理からの飛躍が気持ちよい

――先生の作品を読んでいると、人間とは理解しあえないものだ、といったようなメッセージを 感じることがあるんですが。

それは、マンガのテーマとして、ありますね。世相として、ひとはわかりあえるとか、 がんばろうとか、そういうものばっかりだったでしょ、一時期。

――いまだにありますけどね、根強く。たとえば、J-POPの世界に(笑)。

ただ、ぼくは天邪鬼な性分だからね。

――でも、単に世間へのアンチテーゼってことではないような気がします。骨があるような。

柄谷行人(*8)の『探求1』には凄く影響受けています。 その中でのヴィトゲンシュタイン(*9)についての解説は、すごくわかりやすかった。

――どういった解説なんですか?

彼がヴィトゲンシュタインの言ったことを解説しているんだけど、ひとはわかりあえないのが基本で、 何かの間違いで、論理の中に、飛躍があって、それでコミュニケーションが起こると。

――誤解と誤解が出会うというわけではないんですか?

というよりも、論理だけではモノローグだということなんだよね。コミュニケーションってのは、 本来、言葉の通じない他者と出会って、飛躍があって、意思が通じ合う。 そういったプロセスがあるんじゃないか、そういった構造のものなんじゃないか、という話。

――おもしろいですね。それって外国へ行くと実際に体験するものかもしれない。

そう、外国にいて、外国の言葉の中で、物を考えた人たちの言うことはすごくわかりやすい。 ヴィトゲンシュタインとか、パスカル(*10)とか。

――いつごろから、そういった本を読まれるようになったんですか。

大学の後半になってからかな。とりわけ、’80年代半ば頃読んだ、『探求1』からは凄く影響受けてます。

――’80年代後半と聞くと、ニューアカと呼ばれる流行がありましたが、関係ありますか?

その前からヴィトゲンシュタインは、凄く好きだった。だから、とても入り込めて、柄谷の 解説がとてもおもしろかった。ヴィトゲンシュタインは『論理哲学論考』が最近、岩波文庫になったよ。

――ヴィトゲンシュタインはどんなことを言ったひとなんですか。

哲学以前の物の道理みたいなことです 「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」という有名なことばがあって。

――ええ。

「語りえない」ってことは一番大事なんだけど、それは言葉にできないから、語りえない。 「語りえること」なら、それは言葉にできるだろう。 たとえば、文学とか、芸術とか、それ以外にも言葉にならないことが大事なんだ。 しかし、それは言葉で語ることはできない、という不可能性。 すごくおおざっぱに言うとそういったことかな。

――山本先生は、漫画家という立場だと、そういうものの考え方は創作するうえでかなりベースとなる思想ではないですか? もちろんマンガという表現には、セリフも絵も、どちらもあるわけですけど。

マンガのような表現をするさいに、いちばん適してる考え方じゃないかな。 ただ、そういう教えに従うわけじゃなくてね。「あ、これが物の道理なんだな」って納得したというか。

――興味深いお話ですね。

ヴィトゲンシュタイン後期の思想は、屋台骨は同じなんだけど、ちょっと変わってきて、 それもやはり、柄谷行人の解説を読んで、よくわかったかな

――どういった感じの思想なんですか

たとえば「ひとは、私的な規則に従うことはできない。」という命題。

――それは、個人的な条件ではなくて、ひとには共通の条件があるってことですか

要するに、わたしが正しいと思っていることと、実際に正しいのは違う 「わたしが正しいことをしてる」って言うのと、「実際に正しいことをしてる」ってのは違う。 簡単にいうと、他者が決定するってこと。 ひとは自立的にものごとを決められないってことだね。他者との言語ゲームの中で 決まってゆくっていう。それが物の道理だな、って思った。

――個人的な価値判断は当てにならない?

うーん、たとえば、連合赤軍の人たちも、自分の道理で「正しい道を歩んでる」って思ってたけど、 実際にそれが正しい行動かっていうと、違う。別物でしょ。

――そうですね。日常でも、ひとりだと、思ってることと、行動が乖離しがちになりますね。

ものごとの価値については、他者とのコミュニケーションがあって、初めて判断できること なんだ、って気づくのは、大切かもしれない。

――他者性ってことですよね。

自分の中のモノローグだけだと何も解決しない。他者が存在しないところでは 価値判断できない。可能性としては、身内でみんなが、モノローグを垂れ流している、っていう場合もあるね。 かならずしも、ひとりだから、他者が存在しないとは限らない。 同様に複数の人間がいても、他者が存在しない場合もあるね。

――今の話を伺っていて、『きさくなあの子』(*11)という作品で、マンガ家のところに、女の子が やってきて、セックスをして、最後、「帰ってきてほしい?」みたいなことを訊いて、マンガ家は 「どっちでもいいよ。俺は寝るよ」みたいなことを言いますよね。

どうせ帰ってこないんだろ、みたいな感じの結末だったね。

――ああいった執着の無さ、乾いた感じは読んでいてとてもおもしろいです。

執着しているひとを描くのは苦手だから、描かないね。

――山本先生の作品では、人間関係の軋轢を描くというよりは、ふっと交点を経て、だんだん すれ違って離れていくみたいな感じが多いな、と思うんです。

理屈で言うとさ、人間同士はコミュニケーションできないんだけど、なぜか コミュニケーションできてるよね、っていう。そのギャップがおもしろい。

――ええ。

そのギャップがマンガの中でうまく描けたときは気持ちいい。論理からの飛躍が成功した、ってことなんだろうね。

――それにしても、先生の中では、ヴィトゲンシュタインがずいぶん大きいんですね。

うん。最初荒俣宏(*12)の本で、彼のことを知って、「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」? 「うーん、カッコいい!!」と思って。

――ふふふ。

荒俣宏が書いた『理科系の文学史』という本があって、それにヴィトゲンシュタインの話が出てきたと思う。

――彼が言葉じゃ語れないものがあるよ、って言いたいのは、「ひとよ思慮深くあれ」ということなんでしょうか。

「言葉じゃ語れないものがある」っていう主張が重要なんだけど、ことばでは「語りえぬもの」を 指し示すことしかできないよね。っていう話だね。形而上学全体を否定するような過激な意見なんだけど。

――ヴィトゲンシュタインには、言語への深い懐疑があるように感じます。

もともと彼は数学の人なんだけどね。最初は、工学畑で、ヘリコプターの設計をしたくて 数学を始めたら、論理数学みたいなのがおもしろくなっちゃって、論理学に行ったというような。

――先生ご自身は、数学に興味を持たれたりしたんですか?

数学が得意だったの。両親ふたりとも、数学の先生で、中学までの数学は得意で、勉強しなくてもわりといい点取れていた。 ただ、高校に入って、ガタッと数学できなくなって、あきらめました。微分積分とか、まったくダメだったね。

――文系になったのは、高校に入ってから?

そう、筒井康隆とか読み始めてね。先生に「お願いします!」って言って、理系から文系に変えてもらった。

――ヴィトゲンシュタインに至るまでの具体的な経緯はあったんですか

印象的なのは、マーチン・ガードナー(*13)の数学パズルみたいな本を読んで、すごくおもしろくて。「わたしはうそをつく」とか。

――クレタ人のパラドクス(*14)ですね。

そうそう。

――数学者とか、論理学とかやっている人は、一般には「冷たいかな」という印象をもたれてるかもしれないけれど、 論理って、おもしろいですよね。けっこう熱い世界だと思います。

おもしろいよ。ものすごく極論すればね、音楽も、小説も含めて、表現ってもの全部が 「わたしはうそをついている」ってパラドクスに還元できるかな、って思ったこともあって。 間違えてないと思うんだよね、この考え方は(笑)。

――パラドクスって、論理が循環するわけですよね。

そう、そこで、論理がぐるぐる回って運動が起こって、ものごとが動き始める。 表現はね、「わたしがほんとうのことを言っている」って言っちゃうと、そこで止まっちゃう。 クレタ人のパラドクスに、ラッセルのパラドクス(*15)そういったものが好きだったね。

――記号論理学(*16)の世界ですか。

数学的論理学、というか。集合論とか、無限に段階があるとか、整数全体の数の大きさと、実数全体の数の大きさが違う、 みたいな、そういった話を、講談社ブルーバックスで読むのが好きだった時期があった。

――大学生でしたか?

大学の後半ぐらいだね。そういった本をわくわくしながら読んでた。 だからといって、数学きちんとやろうとか、そういう気にはならなかったけどね(笑)。

――そうですか。

『Blue』(*17)に入っている「なんだって7days」で主人公の男が「がば」って起きるところ覚えてる?

――ええ、覚えてます。

あのTシャツにさ、ωのω乗のω乗の、ω乗のω乗…って、記号があるんだけど、 あれは「超限数」ってのをあらわす有名な記号なんですよ。 なんか自己主張したかったんだねー、きっと(笑)。

*08 柄谷行人(からたに こうじん)
1941年兵庫県生まれ。批評家。 著書『マルクス その可能性の中心』『日本近代文学の起源』。http://www.logico-philosophicus.net/profile/KarataniKojin.htm
*09 ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein)
1889~1951年。墺人。哲学者。著書『論理哲学論考』『哲学的探求』。
*10 パスカル(Blaise Pascal)
1623~1662年。仏人。数学者、物理学者、哲学者、文学者、宗教家。論文に『円錐曲線試論』、 書簡『プロバンシアル』、著書『パンセ』(死後1670年出版)がある。http://www.alpha-net.ne.jp/users2/eijitkn/Pascal.html
*11 きさくなあの子
『マンガ・エフ』(太田出版)2000年8月号掲載。現在は『テレビばかり見てると馬鹿になる』(2000年 12月発行)収録。
*12 荒俣宏(あらまた ひろし)
1947年、東京都生まれ。作家、研究家。著書多数。古書・図像蒐集や、翻訳、小説、博物学、 神秘学などジャンルを越えた執筆/研究活動で知られる。
*13 マーチン・ガードナー(Martin Gardner)
1914年オクラホマ州生まれ。米人。ジャーナリスト、海軍従軍を経て、 フリーランスのサイエンスライターとして活躍。科学解説書からゲーム・パズル物までの幅広い著作がある。http://www.gamepuzzles.com/martin.htm
*14 クレタ人のパラドクス
人が「わたしは嘘つきだ」と言う場合、その言葉は真か偽かという、論理学の命題。 この命題は、パラドクス(逆説)ではない、と言う人もいる。
*15 ラッセルのパラドクス
公理的集合論以前の集合論における矛盾を指摘するパラドクス。
*16 記号論理学(symbolic logic)
論理的操作を数学の演算に類する記号操作で行う論理学。論理代数。
*17 Blue
正式タイトルは『Blue AND OTHER SHORT PIECES』。1991年12月に光文社から発行され、1992年都条例により 「不健全」指定を受けた表題作を含む短篇集。指導に従い光文社は廃棄、絶版を決定。同年10月、弓立社から「成年マーク」つきで再刊。 現在は2001年に再々刊行された双葉社版で読むことができる。

赤旗と日曜学校な小5

――先生は、作品の中で、直接的に社会問題を書かれることって無いですけど、作品に時代の空気感がありますね。

そうだね。

――結局どんな表現でも、時代の空気とは無縁でいられないんでしょうか。

そうね。やっぱり、ふつうに生活してれば、影響受けるよね。それが作品にも出るからね。 小学生の頃は、日曜学校に行って、帰ってきたら家で赤旗日曜版を読んでたけどね。 日曜版は、手塚治虫の連載マンガが載ってたりして、マンガが多くて楽しかった。

――赤旗を購読されてたのは、やはりご両親が先生だったから?

公務員や国鉄職員なんかは、購読者多かったよね。知り合いから回ってきて、付き合いで取るみたいな部分もあったし。『週刊朝日』と『赤旗日曜版』を読みながら、教会に通っているような小学5年生だった。

――すごい小学生ですね(笑)。「右も左も」というわけでもないですけど、幅広いですね。

最初は、教会でもらえるきれいなカードとか、そういうのが目当てなんだけどね、教会通っていると、 進化論否定するような先生がいたりするわけ。

――ファンダメンタリストですね(笑)。

そのあと、6年生のときの先生は、『ヤングフォーク』(*18)に出てきたよ。そのひとは、そんなに過激では なかったけど、オルガン苦手だから、フォークギターで伴奏して、賛美歌うたう、っていう先生で。

――『ヤングフォーク』に登場する先生のモデルなんですか。

そう。あれは、実在の先生がモデルだね。

――先生のように、イデオロギーの洗礼というか、教会とか赤旗とか、そういうものに幼い頃から 触れていると、価値判断が、きちんとできるんでしょうね。

それでできたものが、エロマンガだけどね(笑)。

夢見る体力

――世間には悪夢のような事件も多いです。先生はオウム教団や日本赤軍について、 ずいぶん興味をもたれていたみたいですけど、それはやっぱりフィクションより、 ノンフィクションがおもしろい、ってことですか?

オウムはほとんどフィクションの世界だね。『ありがとう』の終わりの頃と時期的に重なっていて、 ’95年の8月頃だよね、現実のほうがおもしろくて悔しかった。

――オウムの人たちを見ていたとき、不思議だな、って思ったのは、彼らは価値判断ができない、 ってところなんですけど。

そうだね。子供の頃に、何かにかぶれる感じがあると、いいんだろうね。

――宗教とか政治思想じゃなくても、なにか夢中になるとか、そういうことですよね。 アイドル凄く大好きってのでもいんだろうし、マンガの熱狂的読者ってのでもいい。

うん。オウムの人たちは、コミュニケーションとれなくて、仲間内でモノローグだけに なってしまった結果だと思うんだよね。

――彼らのモノローグが反響してる感じがありますよね。

そう。養老孟司(*19)風に言えば、「身体」と「脳」が離れちゃってる状態。オウムもそうだけど、 連合赤軍のメンバーに関して言えば、彼らは高度成長、イケイケの時代の最初の受験戦争を くぐりぬけてきたひとたちな訳だけど、あの凄まじい私刑のなかでも生き残ってきた植垣さん(*20)というひとがいて。

――ええ。

彼はなぜ生き残ったかっていうと、技術を持ってた。メンバーの中で、登山がいちばんうまかったんだよね。 登山ってのは、脳と外界がいちばん結びついてなきゃならない、現実的なスキルが必要でしょ? 総括されそうになっても、外とのやりとりがうまくできて、「そうなんだ、そうなんだ、オレはダメなんだ」って思わない。 思っちゃう人は「わたしはスパイだったかも、しれません」なんて、つい言っちゃうわけ。

――それで殺されちゃうんですね(苦笑)。

それで、利用されちゃうっていう。彼にはスキルがあったから、生き残った。 ありふれた言い方で言えば、「適当に調子を合わせることができた」っていうことになるんだけどね。

――うんうん。

オレはスキルのある者だから、軍に必要な者だから「黙ってろよ」って口には出さないけど、思える。 自分に言い聞かせられる。殺されちゃった人は、それが思えない、みたいなことだね。

――「身体」と「脳」が離れていると危険ですね。

走りこみだね(笑)。何事も、体力だね。「身体」と「脳」のバランスってことだと思うけど。

――コミュニケーション能力ってのも、ひとと話をあわせる技術のことだったりします。

そう。コミュニケーションってのはすっきり行くもんじゃない。 すっきり行かなくて、中途半端に身悶えることが多いじゃない。 それが前提だから、手に職を持て、ってことかな(笑)。それが結局は、体力にもつながるしね。

――要は「走り込め!」と。

そうだね。今日のテーマは、体力だったのかな(笑)。『夢辞書』の話だったけどね。

――たいへん興味深い話をありがとうございました。

*18 ヤングフォーク
『ビジネスジャンプ』(集英社) 1994年1月1日号、1月10日号に前後篇で掲載。現在は『夏の思い出』(1994年4月発行・太田出版)に収録。
*19 養老孟司(ようろう たけし)
1937年神奈川県生まれ。解剖学者。著書多数。近著『バカの壁』(新潮新書)がベストセラーになっている。
*20 植垣康博(うえがき やすひろ)
1949年静岡県生まれ。弘前大学理学部在学中に、赤軍派入隊。現在スナック経営。http://hakugaku-hompo.tripod.com/0205/uy.html